話は少し外れるが、目の前に電子炊飯器があって、この炊飯器のことを思う。
もし、炊飯器がなければ、ご飯を炊けない人が多いかもしれない。
ところが、今時の炊飯器は「電子制御」されていて、壊れても一切手を出せない。
電気なんて結局プラスとマイナス、0と1・・・子供の頃の私たちにとって、電気はそう遠くなかった気がする。真空管もモーターも実に目に見えるカタチで存在していたので、ちょいと痛んでもなんとなくこういう具合という感じがしたものだ。
(余談だが、私の若い頃には、必ずラジオも扇風機もテレビも、皆家で分解したことがあろうと思う。なんとなく・・自分で治せる気がするのだ・・私は多分電化製品だけで20個は分解している・・・が、今や子供にDSが壊れたといわれても、分解する気さえおこらない)
トランジスタになって少々やっかいな気がしたが、ハンダ付けでラジオやチャイムを作っていたりする人も多かった。
だが、今やブラックボックス。
ものすごく便利・高性能で、全くのところ「素人」の出る幕はない。
基盤が「印刷」されているなんて、40年前は驚きの世界。
パソコンもMS DOSの頃までなんだといじくっていたが、ウィンドウズ95以来・・・一般の素人の出る幕はなし。
パソコンを使うとは、いつの間にかマイクロソフトなどのメーカーが作るオフィスやアプリケーションを扱うことになってしまう。
ものすごく便利・高性能で、全くのところ「素人」の出る幕はない。
ユーザーと作り手の完全なる分離。
今やいたるところに電気は入っているので、車の修理も家では出来ない。
私の好きなバイクなど、昔は近所のお兄さん方が結構自作していたが、今はこれもダメなものが多いようだ。
そこへ行けば、庭などどこにも電子基盤が入っていない。
素人だろうが玄人だろうが、お構いなしに入っていける楽園かもしれない。
「庭」という言葉よりも「がーデニング」という言葉の方がいいと思う
特に「ING」が入っている辺りに、動的な身の軽さを感じる
庭作りは愉しいものだと仕事をしていてもつくづく思う。
施主の方は、こんなに愉しいものを人に任せるのはもったいないとも思う。
さらに、電子基盤などもないので(最近は照明器具などで一部あるようだが(笑))、ブラックボックスという手に負えないものもない。
素人にやっかいなことは、ただひとつ。
重い、大きい、ツライという肉体的・運送的限界感かなと思う。
まあ・・それは「手間」というもので、いざとなれば引越し屋のお兄さんを雇い入れるがごとく、諸事善処すればそれも可能だと思う。
それでも、庭を作るということは、特別な才能や知識が必要と思われる方もおられるように思う
本当に、そうだろうか?
私が弥生時代くらいに生まれていれば、多分家も自分で作ったように思う。
当たり前か。
だが、今でも田舎の農家などに行けば、その家の方が自作の庭が出来ていたりする。
ただ、元来そういうものだったように思う。
専門家などが登場する前から、庭も家も存在している
ここに一枚の写真。去年東京の原宿の店舗で撮影。

一般に「ピンコロ」(約10センチ四方のキューブ状石)のサンド色の石を使って作ってある花壇?
もし、これを本当の職人が作っていたとしたら、かなりの確信犯?(笑)
多分、10人の職人にピンコロ石とモルタルを渡して、花壇を作りなさいというテーマを与えても、きっとこんな「適当」に作れないと思う。
これを作れる人で思い当たるのは、「素人の方」かなと思う。
ある才能を感じる
この部分だけを自宅の花壇に施工されたら、きっと施主はどう思うのだろう?
もう少し引いてみる

これならどうだろう?
まだ、不満が残る方も多いかもしれないが、まあ許せるスキマが見えてくる。
さらにもう一枚

残念ながら・・・写真の不備で、花壇は赤い看板の裏に隠れている(笑)
が・・・・・多分気にならないのだ。
あのいい加減なグネグネピンコロが・・・。
店全体への観察力と親近感の勝利か?よく観ると店もグネグネだし・・(笑)
土・石・木・水は、各地の特徴はあれど、世界中の共通の「材料」だといえる。
目の前に石が落ちていたら、それを拾ってきて石を積む。土をこねる。
その行為や基本的なやり様までは、ほぼ世界標準・・ユニバーサルデザインに近いものを感じる
ここに様々な気候などの環境や文化(人の心のカタチ)が堆積して、スタイルや様式に至るが・・・
まあ・・・素は人間することに大した違いはないだろうと思う。横穴の洞窟があれば、そこで雨露を凌ぐだろうという意味で・・・。
ちょっと・・補足的に書くと、こうして3枚を順に観ていくから、許せるが、自分で作っている時に見える風景は、最初の一枚なのである。
(ああ・・・・こんなのでいいのか!?・・多分何度も不安に苛まれ、自信をなくし、お隣の家にある理路整然とした花壇のレンガなどを見てしまう・・・と思う)(笑)
素人いいところは、専門がないという強みだと思う。
現在、職業は大変分業されていて、案外なことだが、庭を作る人は家を知らず、家を作る人は庭を知らない。
教訓 「専門家とは、自分の専門領域について知っている人で、すべてを知っている人でない」
ところが、素人はすべてを知っている(薄くではあるが・・・)
これは各専門家の性質によるので一概に言えないのだが、たまに、自分の専門外についても素人的目配りが効く人もいる。
私は何人かそういう職人さんや専門家がいることを知っている。
「話が分かってくれる」とか「ニュアンスを理解してくれる」と思う専門家に出会った人はそういう類の方に出会っているのだと思うが、一般的にはそうではない。
ハーフビルドで庭を作ろうと思い、活動を始めたのは、そんな感覚を多分に持っていたからだ。
1庭には手に負えないようなブラックボックスがない。
2.しかも、「現場」は自宅で他人に迷惑をかけない
3.庭作りは愉しいので他人任せにするのはもったいない
4.力仕事さえクリアできれば、可能性は広がる
そして最期に、「素人」という新たな力が生かせる可能性がある。
それは、総合感というか・・・暮らし心地というか・・・庭を「製品化」する力と対極のものに感じる。
とここまでは・・・威勢がいいのだが・・・まだいろいろと課題が残る
この辺りは、また詳しく書いていきます