さて、楽茶碗。
もちろん・・・私は粋な楽茶碗ひとつも持っていないので、モニターの中の話。
ある日、TVに写し出された楽茶碗を見る。国宝。
シゲシゲとカメラは茶碗を追い回す。こちらもカメラに釣られて、しげしげと見る。
シゲシゲと見ることを小学生の娘は「ガンミする」という。
国宝と聞いて、私もガンミする。
焼き物の良し悪しが分かるわけでないので、ただ、「高価」「国宝」ということでガンミする。
良いものとか飽きが来ないものというのは、ガンミに耐える力がある。
庭を見るときもそれに近い。
見ていて、あることに気づく。なんか変。
ややも真円。ややも漆黒。なのにちょっとへこたれ気味に変。
釉薬もいい加減なのに程よいが・・・見れば見るほど変。
凡にして逸。
逸にして凡。
茶碗ひとつを10分そこら眺めているが、何か見つかる。
里山という高度な共生の仕組みは、世界的に見てもすごい高いレベルにある共生の仕組みに思う。
世界の3割が大陸。
その大陸の3割が森林。
なのに、日本は7割が森林で、成長の早い照葉樹の森が多い。
豊かな日本の森は、人々を苦しめるよりは、恵をもたらす恩恵を感じる。
そこの場所をちょっと借りて、芝を取り、炭を焼き、住宅用の建築材料などもって帰り、ちょこっと畑を作る。
その風景は隅々まで手入れされている。
そこに視覚的にも美しさを感じるのはなぜだろう?
最近株立ちの木が人気がある。
柔らかくて、生物としてのグロテスクさが少ないので、女性の方は皆言われる。
ある時、ナーセリーの方にこう言われる。
「自然の中では、株立ちの木なんてないんですよ」
確かに・・・種があれば、そこからはひとつの芽が出てくるので、株になり様もない。
「それは、人が切った後に出てくる樹形なのです」
楽茶碗を見ながら、同じ感覚を感じる。
人の手の感覚が、細かな部分に匂い立っていると思う。
人は人の手の入ったものが、本能的に好きなのではないかと感じる。
それもさりげなく。
「手の復権」などと書いていると、1976年にオープンした東急ハンズを思い出す
この会社のロゴマークはまさに「手」そのもの。
「Do IT Yourself」を最初に提唱した会社だと思う。
私は、ハンズの回し者ではないが(笑)
前回も書いたが、料理や陶芸、パン作りなどすべては、「手の面白さ」。
頭の中にあるただの風景を愉しむのではなく、手の触覚による快感。
それを視覚のどこからか感じるのだと思う。
そのように考えると、庭/畑、菜園、花壇、田んぼ・・・それらは「手の快感」という意味で、同列に並ぶ。
「手の快感」のある生活。「手の温もりを感じるもの」そういうものを見る生活。
ハーフビルド・セルフビルドを目指す人たちのひとつの根底ではなかろうか?と思う。
と同時に、パーキパッドな生活の快感とは、違ったライフスタイル。
モニターに映る観賞魚は、頭のための「作品」であり、人間の五感をすべて総動員して感じる何かではないと言える。

今年作らせて頂いた、電子錠の門扉(撮影はお客様)
電子錠と現代風なポスト、ライト、インターフォンはお客様の支給。
ハーフビルドでの作庭方針だったが、生憎体調を崩され、当方で施工の殆どは行った。
この庭を作らせて頂きながら、「ハーフビルド」の意味を考え続けた。
当初は、「施工作業を役割分担」するというコストカットのためのメリットを想定していたが、
(このメリットに関しては、またの機会に後述)
この現場で、あることを思いつく
機能的に必要なものとそうでないものをきっぱり取捨することによって、必要最低限のものだけを「買い揃え」それ以外を自作することが出来たと思う。
ライトを作ったり、インターフォンや電子錠を作ることは大変だからという意味で。
これから庭を自作されようとする方に一言アドバイス
「何もかもセットで買わなくていいのではないか」
そこを打ち破ることが、きっと手の復権に繋がるように思う。
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